梶栗玄太郎会長を偲んで(5) 

2013年1月8日

歴史編纂委員会 井口康雄部長

 

 私は、今まで10回40日断食祈祷を決行しましたが、無事に完遂できたのも、梶栗玄太郎会長による神がかりと思えるほど天才的に素晴らしいご指導のおかげと今更ながら厚く感謝しております。

 

 第1回目の40日断食は、梶栗会長と共に、無実の罪で米国コネチカット州のダンベリー刑務所に収監された文鮮明先生の救援のため、その収監に合わせ1984年7月21日午前零時を期してスタートしました。

 

 実は、私は文先生の収監に先立つ同年6月6日午前零時、いったん21日断食をスタートしました。文先生救援の一助となればとの思いからでしたが、翌7日の夕方、突然、当時の世界日報社社長の梶栗会長から「断食をしている目的は何だ」と強く問われました。

 

 私が「文先生の裁判に対して、収監されないためです」と即答したところ、梶栗会長は「分かった、今はもうやめなさい。もし収監された場合、40日断食をやったらよい」と言われ、内心驚きました。なぜなら、7日間以上の長期断食は危険だから中止させられたり、期間を短縮させられたりするケースが多く、ようやく決意した21日の2倍の40日断食をやれとの話は前代未聞だったからでした。 

 しかし私は梶栗会長の確信に満ちた力強いご指導に感銘して、何か深い意味を感じてすぐに決意し、21日断食をいったん2日間で終え、40日断食に備えることにしました。

 

 その背景は40日断食終了直後に初めて証されましたが、梶栗会長がその年の5月末に訪米された時のことです。米国のキリスト教牧師たちが文先生とともに1週間ずつ牢獄に入ると宣誓したとの報告を聞かれた文先生は「キリスト教牧師がこれほど決意しているのに、統一教会は何をすべきか。決死的なことをしなければいけない。神学校出身の米国青年がホワイトハウスの前で40日断食のハンガーストライキを決行できるかどうかだ」と言われたそうです。そこで、梶栗会長は即座に「もっともなことだ。神学校は出ていないが、責任ある弟子として文先生が収監されたら40日断食する」と密かに死を覚悟して決意されたとのことでした。

 

 「今の21日断食より収監後の40日断食」とタイミングと日数を変更された梶栗会長の絶妙なご指導があったればこそ、世界でも類を見ない「文先生が願われた歴史的40日断食」を梶栗会長と共に死なずに無事決行できたと思っています。

 

 その時の40日断食は普通でも暑い夏の期間でしたが、その年は希にみる酷暑でした。当時34歳だった私はそれまで7日断食を10回以上やっていたので慣れていたつもりでしたが、初めての長期断食でやり方がわからず相当苦しみ、後半は倒れて寝込んで七転八到の地獄の日々が続きました。

 

 しかし梶栗会長が47歳の年齢にもかかわらず、40日断食中に講演会や会議、国際ハイウェイ建設現場の視察、あるいは講義などをこなし、超人のように働かれる姿を見て、とても驚くとともに感動し、励みと勇気をいただきました。そのおかげでようやく立ち上がり、終了直前に開催された東京・有楽町での信教の自由のための座り込みデモにも2回参加できました。

 

 断食明けの祈祷中、私は三途の川を渡る寸前のもうろうとした状態でしたが、幻で霊界の天総官である文興進様が現れて力づけられたり、イエス様の十字架の前で逃げた弟子ペテロが霊界から現われて「貴方たちはイエス様に対する我々の信仰を越えた」との言葉をいただき、その後の信仰生活が大きく飛躍できました。

 

 その後、文先生はアメリカの教会員に対し、「命懸けの信仰とは、梶栗君が40日断食を行った基準です」と言われ、梶栗会長の絶対信仰を高く評価されています。

 

 日本においては40日断食を最初に決意した梶栗会長の絶対信仰のおかげで、それを相続する後継者が次々と現れていきました。真のお父様が聖和された昨年だけでも3人、最初の40日断食以来約30年で15人、延べ40回(梶栗会長の2回、3人の祝福二世の6回を含む)決行しています。

 

 

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