在韓日本婦人の証し文(1)

2010年7月5日

 「週刊ポスト」誌(小学館発行)2010年6月4日号に掲載された偏向記事をめぐって、当法人が同誌編集部に厳重に抗議し、謝罪・訂正を求めていることは、これまでこのホームページで紹介してきた通りです。

 ポスト誌は、国際合同祝福結婚式に参加して韓国に嫁いだ日本祝福婦人の多くが、悲惨な生活を強いられ不幸に見舞われている、と事実を大きく歪曲して伝えました。このことに韓国の地で幸せに暮らしている大多数の日本婦人とその家族は非常に憤り、心を痛めています。

 そして、在韓日本婦人会はこのほど、現地での生活の様子を綴った日本婦人の証し文20通を同誌編集部に送付しました。そこには、韓国の地で文化・民族の壁を乗り越え、妻として母としての役割を果たしながら、日韓両国の架け橋になろうと懸命に生きてきた姿が鮮やかに描かれています。

 筆者の了解を得て、ここにその一部を2回に分けて紹介します。(2回目は7月7日に掲載予定)

 

 

1.瀧口恵子さん

2.宇田悦子さん

3.鈴木きくこさん

 

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わらないように…

                        2010年6月25日

 

瀧口恵子

全羅南道在住

 

 私は1982年に韓国の男性と出会い結婚しました。

 

 人は皆「幸せになりたい!」と願い、その幸せを手に入れるため努力をします。その幸せの条件とは何でしょうか?私の主人は一般の人が考える良い条件――すなわち、お金、学歴、健康のどれ1つ取ってもその条件に満たない人です。主人の家は貧しかったため、高校に行けず主人の学歴は中卒で、加えて体に障害すら持っていました。

 

 今年、還暦を迎えた主人は、もとは健康体でした。それが19才のとき友人が持っていた銃の玉の破片を頭に受けるという事故にあったのです。3日間の昏睡状態のあと目が覚めてみると顔の左側、そして左半身が麻痺していました。友人である加害者の両親は驚き、大事な牛を1頭売り払い病院費と見舞金が渡されました。1人の人間の一生を台無しにしたのですから、いくら高価であっても牛1頭で全てが解決するわけではありません。恩讐とも思える友人ですが、今は都市に出て生活していますので、顔を会わす機会はありません。けれども儒教の教えが根強く残る韓国、田舎に1人残った友人の母親を、主人は実の母のように慕い時間のあるごとに訪ねています。特に「父母の日」には必ずカーネーションを忘れずに胸につけてあげています。

 

 こんな主人との間に息子と娘がいます。現在、息子は軍隊生活をしています。兵役は韓国に生まれた男子として当然の義務です。ですが、韓国も少子化のため、子供に苦労させたくない親が多く、あらゆる手段を使い兵役を逃れさせようとします。息子は、親戚からも「時間の浪費、行くような奴は馬鹿」とまで言われました。ですが「苦労したい」と元気に出かけていきました。数ヶ月後、息子から届いた手紙にはこう書いてありました。

 

 “訓練所で一番苦痛といわれる各個戦闘と30kmの行軍を無事に終えました。

 2泊3日訓練の最後は寝ないで30kmの距離を10kg以上の軍裝を背負って歩くのです。歩くことには自信があったのですが、けして甘くはありませんでした。5時間20分で無事終了! 

 でも最後の2時間は精神的に大変でした。この時に力を与えてくれたのが家族の存在です。お父さんとお母さん、そして妹と交した記憶を思いだし克服しました。ありがとうございます。

 この世で生きていくのに「家族の存在」そして周囲の人々との交流関係がとても大切であり、力の源になるのだと強く感じました。もちろん、これを知らなかった訳ではなく、思っていなかった訳でもありませんが「得る」のでなく「体得」をしたというべきでしょうか!軍隊での訓練は・・体の訓練をするだけではないようです。他では体験できない貴重な時間を過ごして帰りますので心配しないでください。”

 

 私はこの手紙を読んで「韓国にお嫁に来たことは間違いではなかった!」と思いました。お金も学歴も健康も無い主人から、私はなんと大きな財産を与えられて生活してきたことか――。

 

 これからも苦労を宝として生活していきたいです。

 

 

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『国際祝福結婚について』

 

2010年6月26日

 

在韓日本婦人会 副会長  宇田悦子

ソウル在住

 

 私は1982年10月14日、夫の金相均さん(現在、一美歯科院長)と6000組の国際合同結婚式(祝福式)に参加しました。そして1984年11月20日、信仰の祖国・韓国に参りました。夫は5人兄弟の末子でありましたけれど、私たち夫婦が夫の両親と同居し、お二人が亡くなられるまで物心両面で最善を尽くして面倒を見ることとなりました。

 

 夫の家系は、慶州金氏の両班の血統でありましたから、最初は日本人の嫁である私に対して親戚一同良く思っていませんでした(特に日帝時代の悪いイメージがありました)。しかし、親戚の中でももっとも気難しい舅に仕え、2男3女の子女を生んでよく育てている姿を見て、すっかり良い方に変わっていきました。私は日本の高知の女であり、よい意味での「いごっそう(頑固)」であります。

 

 統一教会の信仰の大先輩である姑とは一度も喧嘩したことはなく、洞内でも評判の仲の良い日本人の嫁と韓国人の姑という事で、KBS(아침 마당)のテレビにも数回出演しましたし、一般の雑誌にも掲載されました。しかも、夫の長兄のお嫁さんは舅が恐くて1週間も同居できませんでした。「気難しい舅とどうしたら仲良く住めるのか」と私に聞きに来た事もありました。文先生の教えのごとく、真の愛は国境を超え、恩讐も超えて、最も近い実の父母のような心情関係にまで発展させることができます。

 

 また、私は夫を心から尊敬しています。1歳の時から母親の背におわれて統一教会に通い、母親の信仰に支えられて立派に成長し、韓国の名門京畿道高等学校、ソウル大学、そして博士まで修得し、現在は一美歯科院長としての責任はもちろん、後輩で苦労している医学生に奨学金を与えて、後輩の育成に力を注いでいます。

 

 そして、財団法人愛苑の福祉会館の理事長を長く引き受け、寄付金を出し、自ら出向いて身障者や1人暮らしの老人のために無料奉仕をしています。そのため、ソウル市庁から長官賞、奉仕賞も頂きました。そして1年に1回、海外の医療奉仕に外国の統一教会の医者たちと共に出かけていきます。今までにモンゴル、フィリピン、ブラジル、バングラディッシュ等に行きました。今年はカンボジアに行く予定です。私はいつも忙しい夫の健康を祈るばかりです。

 

 私たちの5人の子供は、長女が2005年12月29日にオーストラリアの方と祝福を受けました。いま娘はシドニー大学で勉強し、父親と同じ医者としての道を歩むために努力しています。異国の地で明るく負けずに産み月になっても現地の学生以上に一生懸命勉強する姿に、シドニー大学の教授たちも驚き、娘を記憶してくださり、生まれた子供についてたびたび聞かれるそうです。娘は夫のクリスとも仲良く、長男の嫁として、東洋人に対する差別の激しいオーストラリアで現地の学生にも一目置かれるほどに頑張っています。そんな娘を見ながら、私は誇らしく思っています。長女が生んだ孫には韓国、日本、カナダ、オーストラリアの4カ国の血が流れています。4カ国の両親・親戚から愛されて、今すくすくと育っています。

 

 私たちの2番目の娘も歯科医としての道を歩むため、努力しています。5人とも大学に入学し、それぞれに頑張っている姿を見て、私たち夫婦も本当に心から感謝しています。

 

 主人の次兄の3人の子供たちも祝福式に参加し、アメリカにも親戚ができました。私たち夫婦も韓国、日本、オーストラリア、アメリカと各国に連結され、「人類一家族」を少し実感している今日このごろです。

 

 2009年12月には、韓国人にとっても難しい健全な家庭を築き、5人の子供を育てて韓国に貢献しているとして、ソウル・城北区の女性団体から区庁で感謝碑を頂きました。

 

 週刊ポストの記者の方には言いたいことがたくさんあります。このごろでは「日本の政府がやれないことをこの韓国に嫁いだ日本人のお嫁さんたちがやってくれている。日本政府はこの人たちに賞をあげなければいけない」と韓国人の口から聞こえてきます。

 

 どうぞ韓国、日本両国の親善のためにも、正しい報道をしてくださるようお願いいたします。

 

 

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『“世界平和できるのは国際結婚だ”とんできた国男性との結婚』 

 

2010年6月25日

 

鈴木きくこ

ソウル在住

 

 今のように韓国の情報があまりなかったころ、ほこりっぽい大地に頬骨のはった人々が憂鬱げに黙々と働く姿(いわゆる独裁政権時代でした)を漠然と頭に描きながら海を渡っていった覚えがあります。

 

 24年目に入る韓国での生活ですが、私は日々を心から感謝しながら過ごしています。

 

 この国に暮らしながら、人々との付き合いの中で、あるいはこの国のもつ歴史を通して、人の心と文化の気高さを学びとても感動しているからです。

 

 いま日本の人たちが韓国ドラマに心が憑かれているのは、韓流スターたちのすばらしい容姿以上にその台詞にあるとも言います。最近はただ心のひだを刺激するためだけのようなセリフも少なくないようですが、「どうしてあのような台詞がでてくるのか」と感嘆させられるものが少なくありません。私はあのような台詞は、この国の歴史と思想の結集だろうと考えています。

 

 日本の人たちがあり得ないと感じるけれども感動する場面として、バスや汽車を追いかけるシーンが挙げられます。私の姑は私たちが田舎に帰った時、「せっかく作っておいた民間療方の補薬を息子(夫)が家に置いたままバスに乗ってしまった」と、私たちの乗ったバスの後を追いかけて来たことがありました。最後部の座席から「オンマー(おかあさん)もういいから帰りなよ」と手を振る息子に、地団駄ふんで悔しがり、恨めしさを体じゅうで表わす姑の姿になんともいえない愛着を感じました。

 

 私の実家の父が亡くなった時は、知らせを耳にするや「交通費の足しに」と100万ウォンを送金してくださった夫の兄夫婦。

 

 情の世界では、何倍何十倍も通じやすいのが韓国でした。踏み付けられてきた国なのに寛容で大らかなこの地に感謝しながらも、私たちは時々こういうことも経験します。田舎の70才近くのおじさんに「自分の幼かったころ、日本人が本当に米という米を全部持って行ってしまったんだ」と言われた時は、思わず「知っていらっしゃたんですか」と聞き直してしまったことがありました。いわゆる日帝時代の話です。私よりもっと以前から韓国の地方に住んでいる日本のお嫁さんは「近所の大学教授の奥さんの日帝時代の話を10年間聞き続けましたよ。10年黙って聞き続けていたらね、相手の方から『もう辞めよう、発展性がないね』と言って話さなくなった。また、息子を産んだらね、舅はその赤ん坊の顔を見て『ありがとう』と言って、日帝時代の話をしなくなったんだね」と話してくれたことがありました。

 

 私たちは平和を願ってこの地韓国に渡って来て、かえって多くのものを得て、ただただ感謝しています。信じがたいとは思いますが、ダイヤモンドの鉱脈を堀りあてたような感激があります。

 

 今年2010年は、安重根逝去100年、日韓併合100年、朝鮮動乱勃発60年の年です。戦争はどんな理由をつけたとしても、強者が弱者を蹂躙するものです。言葉の蹂躙も同じです。真心と真実をふみにじるような報道は是非控えてくださるよう心からお願いいたします。

 

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